ひじり屋物語 バックナンバー 2006年 】


2006年6月9日

 爽やかな日々、電車の中でも初夏らしい装いがちらほら、学生たちの二の腕がまぶし
いです。今回からひじり屋の歴史を爽やかに紹介させて頂きます。

 平成5年に、怖い物知らずの夫婦が取りあえず物がいっぱいあるから売ろかと始めま
した。初期は、な!なんと!漫画本も売っておりまして・・(何屋や)。
日銭を稼ぐ積りの漫画本が日銭を食いまして、泣く泣く聖殿(亭主です)は漫画を撤収致
しました。それからが苦難の道を・・・と、ならないのが、ひじり屋です。助ける紙(神では
なく)があって、ある浮世絵の印刷物が大売れで仕入れの損をカバーしてくれました、とさ。

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2006年7月20日

 1年目は1日に2人もお客が来ればいい方で、宣伝しなければ、と駅前で事ある毎に
チラシをまきました。2年目初冬「今日は4人も来たよ」を皮切りに、それ以来お客は少し
づつ増え出しました(売上は・・・別です)。店を始めたのが、バブルがはじけて2年経った
頃で、これ以上悪くならない上向きになるでと、ノー天気に構えていたのですが、とんで
もない、景気はもっと下向きに・・・。競りの市場に出入りしだすと、主人はきれいな伊万
里に魅せられ、訳も解らないのに仕入れだし、これがひじり屋の、じ・ご・くの道への第一
歩となっていったのです。
「何の店や」で始まった店が2年目になると立派?な「伊万里」の店に大変身です。と同時
に貯金も大変身、0がどんどん無くなり、こっちもバブルがはじけたで〜となりました。

  *競り市場を紹介してくれたのは西宮の今は亡き「亀さん」と呼ばれていたおばあさんです。寡黙で気丈夫
   な方で、何も知らない私達に色々教えてくれました。有難うございました。

                                    
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2006年8月20日

 何処まで話しましたでしょうか、そうそう我が家のバブルがはじけたとこ迄ですね。
はじける少し前に近隣の大先輩Gさんより、初めて「初期伊万里」を見せていただきました。
まだ伊万里も知らず平和なひとときを過ごしておりましたひじり屋夫妻は、「あんなこわれた
皿なんか欲しないわな〜」と、のたまわりました。しかし、1年も経たない、そののたまわった
口も渇かないうち、なんと「欠けた初期伊万里」を売買するようになろうとは、お釈迦様もご
存知なかったと思います。
 
 そして「阪神淡路大震災」がおこりました。
震災当日、頭にカラーボックスが当たったのも
気づかず寝ていた主人は「あわてるな、こんな
もんで」と、さすが青森生まれの根性でまた寝
てしまいました。
昼過ぎのテレビで「なんかえらいことみたいや。
伊万里がいっぱい壊れてたら店辞めよね。」と
話し合いながら店に出かけたのを、私は今も
はっきり覚えています。
伊万里の仕入れで四苦八苦しており、貯金も
殆ど使い果たし、どうしたものかと考えあぐねて
いた矢先だったのです。                         初期伊万里の裏です。
「伊万里」は8割がた残っていました。              そう、こんな風に割れてました。
ガラスケースの上に、ちーんと存在する
無傷の「藍九谷の兎」の皿を見たときは、奇跡だと思いました。

 私達は生まれて初めて給水車に並んでお水をもらう、という経験をしながら、ほとんど被害
の無かった大阪や堺方面の催事を駆け巡り、何とか日々をしのぎました。大阪と神戸のまる
で違う風景を眺めながら、頭の中は真っ白だけど変に冷静でいられたのはどんな心境だった
のでしょう。

  *震災で学んだのは、運転資金の融資方法と、お客様からの買取の話をいただいた時の複雑な気持ちです。
   何もできない私達に、お客様が、(破損した)知人や親戚の家の道具などの買取りを持ち込んで下さいました。
   ありがたかったのと同時に、傾いた家を目の当たりにして、やましさやつらさをも覚えました。


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2006年9月27日

 前回は少し湿っぽいお話になりましたね、今回は震災もなんのその、「うちら陽気な関西人
 やで」の巻をご紹介。

 ある日の午後、店にて。
 店 「それどうされるんですか?」
 客 「玄関に置いて傘立てにするねん」
 店 「あ〜おもしろいですね」
 客 「ええやろ〜 しやけど主人には拾ってきたゆうねん」
 店 「大変ですね・・」
   (拾ってきたと言っても通りそうやな コレ(牧場で使うミルク缶)・・・陰の声)

   * 人にはそれぞれの価値観があります

                    ***** *****

 四天王寺で知り合った喫茶店の店主がある日来店。
 客 「うわっ!これいいですね、いいですね」
 店 「おもしろいでしょう」(私は口程には思っていません、 猛省)
 客 「う〜ん、この色がなんとも言えない」
 店 「壊れてますが直したら使えますよ」
 客 「いえいえ、このままがいいんです これでいいんです」
   (目がやさしい)

 上記の彼は家にピンからキリまで何でも持ってます。主人と二人で喫茶店へ買取りに
  行った時のこと。
 私 「このセーターはなんで買ったん?」
 彼 「肌ざわりが気持ちよかったんです」
 私 「表の一石甕 備前?」
 彼 「はい 店の看板になってるし雨風でいい味でしょう」
   (彼にとってカシミヤのセーターも古備前も、どちらも心ふるえる大切なものなんです。
   物を見る眼差しはぴかぴかの一年生)

毎日、お客様とこんな会話をしてるわけではありませんが、胸がワクワクするような出会い
はとても貴重です。

   *金額じゃないんです。 欲しいかどうか、心惹かれるか否かなんです

                      ***** *****

 震災後、それまでの二足のわらじ(主人は別に仕事を持っていました)を脱ぎすて、骨董屋
でやって行こうかいの〜と腹をくくりました。
(おいおい!伊万里にハマってる云々かんぬん言うてたのに・・・半業やったん?)
こんな人いるんですよ。お客→半業者→バリバリの骨董屋。みな生活等を考えると、なかな
か一本にはなれないのです。うちはバリバリの素人→半業者→何となく骨董屋→やっと根性
がついた骨董屋。不安は震災と共にどこかに吹っ飛んでました。お客様との出会いや同業者
の叱咤!叱咤!激励のおかげだと思ってます。

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2006年10月4日

 皆さんは骨董というと何をイメージされますか?掛軸、絵画、壺、刀、などなど・・・。
でも、今は古布や着物も持てはやされ、ひとつの市場となっています。
さあ、ひじり屋の歴史、古布もやってますの巻。

 震災後、着物の大量入荷をキッカケに着物古布関係も扱うことになり、私は勉強にと古裂
市場(いちば)に通うようになりました。市場で競られる時代裂に「????こんな裂(きれ)、
何処に存在するんや?」と目を丸くしたものです。博物館にあるようなみごとな時代衣裳、ち
りめん、更紗等、我店では、うぶだし(買取り)したことのない、見たこともない物ばかり。

 一般の買取りを待つだけではダメと、ボーとしている私にハッパをかけ、主人は古裂関係の
仕入れルート探索に走り回りました。苦労のあげく、つかんだ仕入れ先の商品は驚くほど市
場で売れました。仕入れルートの確保は、古物を扱うものにとって一番大切なこと、勉強に
なりました。そして、自信と意欲に繋がりました。遅咲きのうば桜の私に目標が見つかりまし
た。(主人に感謝です)
                                  
 さて、伊万里はどうなったのでしょうか?
ご心配なく立派に仕入れまくってました。その頃、知り合った大先輩のNさんから大量の知識
と伊万里を仕入れていたのです。振り返ってみるに、仕入れることが目的の時期だったので
はないかと思います。これと思うとブレーキのきかない主人にぼんやりの私、Nさんにはずい
ぶん迷惑をかけたのではと思うのですが、今も懇意にお付き合いいただき、それがご縁で色
んな人達とも知り合いになりました。これからも宜しくお願いします。

 お金の苦労は何処も同じようで、ある日Nさんの奥様に「いつになったら、お金の心配なく
仕入れができるんやろ」、とつぶやくと、彼女はいつも通り穏やかな表情でおっしゃいました。
「一生、そんな日はけえへんよ」。
                              
            
骨董など古物は見つけたときが勝負、無理してでも仕入れねば、次に、なんてことはありま
せん。世の中にひとつしかない物もあるからです。
そうして骨董屋は無理して買って、物はあるのに金がない状態に陥ります。なかなかお客に
は売れないし、お金はいるし、で競り市場に出品する、となります。そして、まあなんと!付値
より高値で売れるときがあります。もちろん仕入れの半値以下なんてことも。
市場に重点を置く業者が大半なのではないでしょうか。勝負が早く、市場での動きをよく見て
生荷を出品をすれば、高値で取引される・・かも、もちろん大負けするかも。

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2006年11月24日

 ある日の四天王寺でのこと。
商品のトランクを「鍵が開いたら儲けもんや」と買って行った二人連れがおりました。
それから二人は「けったいなオッサン(主人)」の店で待ち合わせをする様になり、私達も「変
な二人連れ」は今日はまだか・・と待つ様になりました。
彼らはアニメ集団の残党?で、今や親類縁者、友人等を含め、頼もしい一大集団となってい
ます。何か困ったときには誰かが役に立つと言う誠に重宝で、他面、厄介な人達なのです。
おもろくて不思議な人達のエピソード、随時紹介させていただきます。 
 

  
 右の時計は店のチラシの原画から作った物。
デザイン、作は上記の二人連れの一人Sさん。
彼はどうでもいい物が大好きで、普段は役に立
ちませんが、おっと困った!という時、不思議に
キレイに処理して、感激させてくれます。
店の看板とチラシも彼の作品です。

 東大阪のサンロード小阪で商店街のお祭りの時
似顔絵を描いてる青年みたいな、おじさんです。
                  ***** *****

 ひじり屋は震災後しばらく着物が良く売れ、四天王寺の売上に貢献してくれました。
逆に伊万里はその売上を減らしていきます。同じ頃、市場で覚えた、綿の古裂(堺更紗、
和更紗)に魅せられ、業者に頼んで仕入れる様になりました。売れなくても味ある古裂は
絶対持たなくては、の思いからです。(伊万里のとき同じや、トホホホ)
店を始めて5〜6年頃、あの頃が1番無欲で一生懸命だったのではないでしょうか。色んな
逸品に触れる嬉しさでいっぱいでした。前記の古裂が、今少しづつ売れています。
そう、10年してやっと報われた感じです。(うん、なことより、よう店もったな〜)

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2006年12月27日
                    
 売れない商品「伊万里」のイメージですが、震災後出展する様になった骨董祭では、上手
(じょうて)の傷物や、そば猪口、小皿等が結構売れました。業者やある一定の顧客に、無理
して仕入れた品から売れたのです。
数点売ればたいした売上となり、二人して大喜びで「次回の目標は**万以上や」なんて・・
平和な時代だ!と今にしては懐かしく思います。でもこの「数点売れば」が落とし穴で、たった
の数点が売れなければ、出展料がヤットコサはじき出せるだけの売上結果となります。

 骨董祭参加から5〜6年するとその悲しい状況が表れだしました。
最終日ちっとも売れなくて悲惨な思いで片付けだしたとき、やっと同業者が大皿を買ってくれ、
ホッと胸をなで下ろしたこともありました。「一つ二つ売れる売れないでこんなに違う」、値の
張る「古伊万里」は私達には吉でも凶でもあったのです。

 当時は「エッヘンこんな良い伊万里を置いてねんで」と、まだまだ物を知らない人間の強み
でお気に入りの伊万里だけを並べて悦にいってました(甘〜い)。でも人間はえらい者です。
危うい状況を悟ると、さすがのへんこおじさん(主人)も、ちょうど他古物にも興味を持ち出した
頃でもあり、紙物や当時売れていた着物等も「置こか」となって、主人公−伊万里、脇役−着
物・古布、その他大勢−紙物、と少しづつ展示商品を増やしていきました。

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