ひじり屋物語 バックナンバー 2008年 】


2008年1月9日

 平成も20年となりました。昭和から平成に変わった時の違和感もどこえやらです。
「昭和」の文字にレトロ感を覚え、平成生まれが成人式を・・自分の頭の白髪が当たり前
と妙に納得してしまいました。

 先輩から「頑張ってたら何十年に1回位は大当たりがあるで、もっとも1回もない人もある
けど」と教えて頂いたことがある。そんなことがある訳ない・・と諦めていた頃、なんと伊万里
で大当たりしたことがありました。
 
 今から十年位前です。ある初だしの話しに、あまり期待せずに買取りに行った主人が電話
で「金なんぼあんねん」。さあそれからが大変、預貯金やら保険やらひっくり返してやっとこさ
鼻血を絞り出し、なんとか買えるもんだけ買う、残りはそれを売った金で何とかしょう、と上を
下への大騒ぎとなったのです。嬉しくてしょうがないはずの主人ですが割と冷静で買取った
伊万里を整理しながら「これをあの市場でやな、これはあのお客に声かけよか・・」と品定め
に余念がありません。私は、と言いますと何だかワクワクするのですが、もう一つ実感がなく、
主人が持帰った古伊万里を「う〜ん、そうか、そうか」と只、さわりまくっておりました。
                      
                      ***** *****
2008年1月26日

 さて、お正月ボケもそろそろ取れた頃でしょうか。
伊万里の大当たりの話、はてさて、いかがなりましたのでしょうか。

 「一所懸命頑張ってやってきたからやで」、「そうや、こんな事もないとな〜」と二人で
今までの苦労を思いやり手を取り合って喜んだ・・・とは絶対ならない夫婦であります。
しみじみ「骨董屋って金持ちがやる商売や」と思い知らされました。物が目の前にあるの
に買えないほど悔しい事はありません。一念発起、イザと言うとき「これで買いなはれ!」
とポンとお金をだす、一豊の妻ならぬ「ひじり屋の妻」になろうと、コツコツと内緒貯金を始
めました。(後日談ですが、結局そのお金は、自分が仕入れた古裂帳の代金と消えてしまいました)
  
 そんなこんなも懇意にしている業者の助けもあって、取りあえず資金稼ぎに市場で売り
しのぎ次の買取りに回しました。又、念願の上手の伊万里が出る会に参加が決まってい
たので「初出品で恥ずかしない品や」と勇んで持ち込んだりもしました。

 当時、主人がコレやと見せてくれた古伊万里は今でも覚えています。ある意味「勲章」
だと思ってます。上手の古伊万里は他でもたくさん扱いましたが、思い出に残るのはやは
りその時の品です。運が良かったのかもしれません、でも運をものにするにも力がいると
思いました。それ以後どんなつまらないお話しでも、行って見なければ何があるが解らな
い、をモットーに主人はこまめに買い取りにいそしむようになりました。
(と言うより、三度の飯より買取りが好きなんです)
                   
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2008年2月16日

 2月は売れないくせに忙しい月です。在庫調査やら税金の計算やら、なんとも色気のない、日数もない月
 です。では、大当たりのお話し、これも色気抜きでどうぞ。


 初期伊万里もふくめたその初だしの話は、私が詳細を知る前にすでに業者間で広
まりうわさになってました。この世界はせまい!、誰がどこでどんな買物をし、そして
誰にいくらで売れたかまで気がつけば皆知っていた、なんてことは当たり前です。
(客であれ業者であれ売買の値段は口外しない、が原則なんですけどね)。
「ひじり屋は大儲けした」みたいです。ちょっとこそばゆく嬉しい反面、裏を全て見られ
た様で「そんな言うほどはもうけてへんで〜」と、四苦八苦したしんどさから考えれば
トントンや、ホットイテくれと言いたくもなります。
 でもそんな大儲けしたはずのお金が手元にはほとんど残りませんでした。今でもそう
です、よく考えればわかります、売ったお金を持って誰かが嬉しそうにアチコチで仕入
れまくっているのです。業者はみんな言います「金は無いけど物はいっぱいあるで〜」
(ひじり屋も含め、みんな幸せな奴らです)
  
 話が横にそれましたが、その古伊万里は市場で売り、骨董祭で売り、もちろん店で売
りしばらく楽しませてくれました。でもそれで終わってないんですよ。それから半年が経
った頃、ある夜目覚めた私は、主人が例の古伊万里の一枚を「ええお皿やなー」と、ニ
ヤ〜と眺めているのを目にすることになるのです。そうか、やっぱり嬉しかったんや!と
、私にはない、主人の伊万里に対する思いをすごく感じました。
ありがたく貴重な初だし、このお家とはしばらく嬉しいお付き合いをさせて頂きました。  
                            



 誰かがどこそこで一発当てた話はあちこちでよく聞きます。

 よその話ではなく、自分の所にもいつか来るかも・・・

   を、励みにみんな頑張ってチラシの1枚も配っているのです。
   




 

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2008年3月27日

 骨董屋のお客様はお年を召した方が多く、若い方は数えるほどです。そして御年配の
方達は一様に皆さんお元気で頭のまわりも早く、「が、頑張らねば!」と、私はいつも刺
激を受けております。

そんな中でもずいぶんお世話になり、教えも頂き、ボーとしている私にいつもハッパをか
けて下すったお客様が、去年始めに亡くなられました。御年100歳でした。

洋食器がお好きでお菓子作りがお上手、よく手料理もご馳走になりました。中々のダン
ディーで月1回は知り合いの奥様方とお食事会を楽しんだり、お菓子の講習会を開いた
りしておられました。「年寄りは嫌いや、同じことをクドクド言うから」が口癖でした。
見事に最後までしっかりと生きられた様で、ご逝去の報をお聞きした時は、悲しいより
力が抜けた感じで、まだ実感がありません。

「あんな風に歳をとりたい」と常々思っておりました。
娘さんが後を継ぐかのように、元気でお仕事をされておられるのが清々しい感じです。

 どうぞ皆様その気骨で、こんな若輩者の私達を「ちょっとこの店からかってやろか」と、
ビシビシ叩いて下さい、お尻を真っ赤にして走り回りますので。            

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2008年4月20日

山あり谷ありのひじり屋ですが、震災以後のターニングポイントになったのは6年前の店の引っ越しでしょう。

 伊万里の横ばい、何とか着物が助け船を出したが、でもそのまま煮詰まった様な安定
した様な頃、借りていた倉庫が立ち退きの為、新たに探さなければならなくなりました。
あちこち見た主人が気に入った所は、駅から5分、1階、当時の店の倍の面積等々で、
「店にエエンちゃうか」となり、予定もしなかった店の引っ越しとなりました。

 非日常に弱い私は、各書類の手続きや店の片付けに胃が痛くなる思いで準備に追わ
れ、主人は新たな倉庫探しと、アルバイトさんや知人の協力のもと新店舗の内装等、あ
わただしい日々がすぎてゆき、アレヨアレヨの間に引っ越し、店のレイアウト(なんてもん
じゃなくゴミ屋敷の片付けみたいだった)、喧々ごうごうしながらも格好がつき、やっと無
事新装開の運びとなったのは1月後半だったと思います。(ドヤ、この●なしで一気に書
き上げた文章は・・こんな気持ちだったんです)

開店祝いのシクラメンが異様に赤く見えました。

 「な、引っ越して良かった!と思えへんか」当時の主人の口癖です。そうです、この店
は確かに「吉」でした。思い過ごしかもしれませんが、公私とも色んな事がいい方向に向
ってゆきました。売上数字云々ではなく、ピカピカの1年生みたいな気持になれたし、武
者ぶるいが湧いたし、そう、トンネルを抜けた感じでした。
                  (トンネルの先にはシンドイ事、山ほど有りましたけどね。)
でも同時に主人はこうも言いました、「二度と引っ越しはイヤヤ!」。
                
          (と言うことは、この店でズーット頑張ると言う事やな。)

                                                目次へ 戻る


2008年5月8日

開店3〜4年ごろまでは、私は店番で売る人、主人は仕入れる人、みたいな分担が出来てました。


 そんな私が初めて大した意味もなく、意地を出して仕入れしたのが「ビーズの電傘
カバー」でした。裂市場に出たそれは、可愛い女の子とカバーを掛けた灯りの絵が描
いてある平べったい長方形の紙箱に入ってました。カバーは白布に少量のビーズが
裾にぶら下がっているだけのあっさりしたものです。が、一目見た瞬間に箱共々「これ
、好き!」で、使い方もよく解らないのに、東京の大先輩と競りましてチョットいい値段
で落札しました。

いそいそと持って帰りましたが、見るのも扱うのも初めての品、どうすんねん、なんぼ
で売るねん、と頭を抱えた挙句「エエねん、ずーと持ってても」と居直ったのであります。
飾るもままならず店に置いておりますと、ある日来た西宮の業者が飛びついて「なん
ぼ」。「ぶっちゃけた話仕入値**円です、1,000円でも付けてくれましたら」と商談成
立で、売れてしまいました。後々調べましても決して安くも高くもない値段だったと思い
ます。たまたま好きな業者に出くわしただけかもしれません。業者は丁寧に「昭和初期
位で日本のビーズ、状態良好、箱付きなのが値打ちある」と教えてくれました。

それ以降骨董祭で電傘カバーを片っ端から見ました。私が仕入れたのは特別高価
なものではなかった様です。何に惹かれて仕入れたのやら。
それから時々意地を出して仕入れをする事を覚えました。水圧で太鼓をたたくブリ
キの福助さんも「おもろいやないか」と仕入れ、東京の骨董祭ですぐさま売れました。
(さすがにこの時は、「絶対、値段まけへんで」と頑張りました)

 そうか私はこんなんが好きなんや、と自覚しました。こんなんがドンナンか、説明で
きませんが。



                  
バンブービーズの電傘カバー
  
     


      ビーズの電傘カバーを見ると当時を思い出します。



        最近はあんまり飛びつけへんな〜。
                        

                  
               「あーさみし」










2008年6月4日

 先日お客様と「てぬぐい展」のお話をしていた時の事。娘が高校時代、剣道部に入って
いたのでよく手ぬぐいを買いに行った、とのお話になりました。
(えっ、もらう物では、ないの?)と浅はかな私です。

 女の子なので、可愛いのは無いかと京都や大阪に出た時買いに走られたとの事。
「試合終了後、礼をする時に面を脱ぐでしょ、そしたら頭の手ぬぐいが目立つのよ」
「手ぬぐい」から剣道に話が進んだ面白さに少し感動ものです。
「一試合が済むでしょ、そしたらもう汗でクタクタ、どんだけの手ぬぐいを買ったやら」
高校生の時、クラスのハンサムな男子が剣道部にいて、一時剣道部にあこがれたこ
とがありました。それが汗でクタクタの手ぬぐいのお話しとは、オモロ過ぎて、なんかう
れしくなりました。
「結構流行りがあってね、京都の専門店はええなーと思ったら1枚で3000位なのよ」
「専門店」にも値段にもびっくり。(買う物かよ〜とやっぱり思ってしまった)
確かに、別注かいなと思われる、ちょっと素敵すぎる手ぬぐいもあります。

                                                             
(手ぬぐい ミス屋島)
手ぬぐい ミス屋島
ことごとく「てぬぐい展のて・ぬ・ぐ・い」に固くなっていた
頭にいい刺激となりました。
とても楽しいお客様とイイ深いお話でちょっと得した気分です、
 有難うございました。
                         







                               


                                                目次へ 戻る

2008年7月20日

7月は四天王寺と東京の「骨董ジャンボリー」が準備期間を入れると連続してしまい、その上買取りが
それぞれに重なって、何となくアタフタしそうなイヤ〜な予感で始まりました。


 3日前からは四天王寺の荷物造り。
いつも通り山積みの着物を選別し風呂敷詰め、思ったより、やっぱり時間がかかる。
次に外売り用のちりめんハギレ、セット等を補充してこれも風呂敷で包む。

あ、夏だから麻を売ろうか、とハギレや着物を引っぱりだし、この一斗枡に酒袋を入
れ、この辺の小物も持ってってしまおう、そや、先月やたら帯締めが売れたな〜、で
は帯締めもしこたま持っていこ、注文の大島と白絣もいっぱい入荷してるからこれも
積まねば・・・・・と、やたら「、」ばっかりの文章になってしまう位、アレモコレモとなる。
そこの所をエイと見切りをつけて「よっしゃ、これ位で勘弁したろやないか」と収める。

 まあ、着物関係は20包みに3箱、これに主人が「天気が良さそうやし祭日やから客
が来るで」と、「ほな道具も目一杯積もか」と元気に宣言。
え〜、アンタは四天王寺に荷物降ろすと買取りに行ってしまう、(そうです、緊急の買
取りが入っていたのです)そして私とバイトさんで必死に商品を並べ必死に売るのか
この極暑のなか。そしてきっと泣きそうになりながら西日を背に受け、後片付けをす
るのだ。(私にはそれが目に見える)

 買取りの荷物が多かったら、この四天王寺の荷物はいったいどうなんねん。
「まあ、買取りしてからどうするか電話するわ」とご主人様。
見切り発車かよ!!。                  
        
  我が家にはクーラーも扇風器(行方不明)もありません、不思議に
  死ぬ程暑いと思ったことはなく「エコじゃ、エコじゃ」と二人共元気です。
  ですから、暑い位は何ともないのですが、これに売上や
売上や搬入
  搬出がかかってくると非常に神経を使い、疲れます。
         
                        こんな私でも!
                  
                       ******

後日談。
はい、四天王寺まあ見事な暑さ。(しかもご丁寧な事に、
すぐ隣でおおい茂っていた楠が春に枝を刈り取られていた)
逃げ場もなく只ただ水分補給するのみで、商品の値段交渉する
お客への愛想笑いが溶けてしまいそうでした。

「ほんま暑いね〜」と顔をしかめるお客様。
「イヤになりますね」(ようまあ、出てくる勇気があること)
でも、皆様欲しい物は見てしっかり買って行かれます。(負けるわ〜)

売上は、外国人客に鉄瓶や塗り物が売れ(この方達は皆とても元気でした)、夫婦連れが粘
り強く値段交渉して色々道具類を買って行き、古布が思ったより反応が良く、等々で何とか
そこそこ上がりました。ちょっと胸をなでおろす事が出来ました。そして、そして
無事に夕方主人は商品を荷積みに来てくれました。

アルバイトさんお疲れ様、そして暑い中来て頂いたお客様、ありがとうございました。
(主人も買取りした荷物を倉庫におろし、取って返して四天王寺へと、1日ご苦労様でした)

                                                                     目次へ 戻る


2008年8月9日

 真夏の祭典?骨董ジャンボリー出展の為東京へ。
極暑のみぎり、こころなしかお客様が少ない様な気がしましたが、「古伊万里」が予想外
に少し売れ、まあまあの商いでホッと一息、来る道中のしんどさが報われた思いです。

 今回の東京行きで楽しみにしていたのが、知人の漫画家成田美名子さんの紹介で
「お能・狂言衣装と面の虫干し」を拝見出来る事でした。

 骨董祭終了の次の日、ワクワクしながら、A能楽堂まで炎天下車を飛ばしました。
関係者や役者の方達への挨拶もそこそこに、早速舞台で拝見、と行きたかったのですが、
当方の準備不足で白足袋が足らず、貸して頂く事に。(お手数掛けました)
神聖な舞台に上がるには必ず白足袋姿です。(以後、気をつけよう)
おずおずと入ったとたん衣装の山の下をくぐりぬける状態で、能楽堂の舞台を覆い尽くさん
ばかりに衣裳がつりさげられ、客席にはたとう紙がそこここに広げてありました。
やさしげな扇風器の風が、「衣裳の虫干し」なのだ、とボーとしている私を現実に戻しました。
これは「羽衣」等と教えていただいたのですが、後は何を言われたのか、トンと覚えておらず
古い衣装が「東京大震災」でほとんど焼けてしまった話にはちょっと悔しい気がしました。

 隣の部屋では数人の女性が衣裳のほつれ等を手直ししておられました。
ほとんどが能樂関係者の知人、奥様方のボランティアとの事。
皆様、只只黙々と針を進めておられる姿が印象的でした。(感服、言葉がありません)
成田美名子さんも神妙にお手伝いしておられ(締切明けなのにご苦労様です!)、私も次回
チャンスがあれば、腱鞘炎気味の腕に鞭打って必ずお手伝いせねばと思いました。                                                   
         (次回は面の虫干しのお話、お楽しみに)                  〜 続く 〜


                  〜 御案内 〜
          
         「三聲會」主催
       
           狂言 塗師
           能   松風

          平成20年12月6日(土)午後2時開演
          喜多六平太記念能楽堂 於
           
       お問い合わせ
       銕仙会内 三聲會 TEL.03-3401-2285



    * 成田美名子 「花よりも花の如く」 白泉社出版
     ちょっと古典芸能に興味ある方、ぜひ一読を。
      楽しく、ストーンと入ってきて 「小難しそうな能樂界も人間くさい、それもやさしくてオモロイ人達」と、
      もっと身近に感じ、好きに なると思います。

 
  (当方ほとんど能楽等に関して知識がなく、固有名詞等の表現に間違いがありましたら御連絡下さいませ)
  
                                         
                                                目次へ 戻る
                     
                         *****

2008年8月24日
 
 次の日、能面の虫干しは一般公開もされていて数十人の人達が少々緊張気味に拝見
されていました。私も、さあ拝見するぞ、と面(おもて)の前へ移動したとたん、イエローカー
ドを食らいました。狭い空間をまたいだのがダメだった様で、所持品は別に置き、扇子1本
もダメ、面に危害を加える事のない様、細心の注意が払われていました。
よく考えればそうです、重文にも匹敵しようと言う面もあり、なんといっても二つとない、その
素晴らしさは後世に伝えられねばならない貴重なものです。
 
 なんて小難しい事は抜きにして、見れるだけでも感激物、しっかり心に刻もうと、張り切った
割にはどう見ていいやら、思案の末「どれが一番好きやろ」と考える事にしました。
「孫次郎」の面が、とても好ましく思えました。亡き妻を慕って打ったとの謂れがあり、物語り
を感じさせてくれます。他に「弱法師」や「痩せ男」「かわず」等も気になりました。その消え入
りそうな「あんた、どうしたん」と思わず聞きたくなるようなたたずまい?にはすっかり引き込ま
れてしまいました。次回は物語をしっかり勉強して来るつもりです。

 何度も何度もたくさんの面を、立ったり座ったりしながら取りあえず拝見させて頂きました。
汗だくで観世銕之丞さんが主要な面を説明して下さったり、主人が質問した「一角仙人」の
面を着け表情を見せて下さったりと、貴重な一時はあっと言う間に過ぎてしまいました。
 時間が来て、面をしまわれる、拝むかの様に面と対峙し、しまわれる銕之丞さんのお姿が
印象的でした。

 帰途、二人とも言葉らしい言葉もなく一路関西へと車を走らせましたが、疲れもなんのその
「いいもんを見せてもろた」と胸はいっぱいでした。


 今回の虫干し拝見では、私達見る側の作法、古い貴重なものに対しての心がまえ等を、しっかりと教えて頂いた
気がします。有難うございました。

                                                目次へ 戻る


2008年9月25日

 暑かった今年の夏休みは、「家でゴロゴロ」と「青森へ温泉」に、となりました。

 ルンルンの青森行き、乗り換えが少ない「夜行寝台車」で一路青森へとなりました。
当日時間調整に大阪駅で夕食を、と店を探しましたが、ホントおのぼりさんもイイとこ
で、あちこちウロウロオロオロ、そして乗車ホームを探すのも、なぜだか表示がなく?
これまた四苦八苦。「どこの田舎もんや」と大笑いの旅の始まりとなりました。

やっと乗車、乗ってる間本でも読んで、ムシャムシャ食って飲んで・・なんて遠足気分
を予定していたのですが。確かに文庫本は読めました、主人はビールで真っ赤になり
ました、が、私は寝台車の振動と音響に、背中と耳が痛いわで、まんじりともせず一夜
を明かしたのございます。(シンドカッタ!)
 
 でも、寝台車の夜明けはなかなか良いものです。車内放送もなく着くわびしそうな駅、
そしてガッタンの音と共に列車は又走り出します。何処からか聞こえるひそやかな話し
声、カーテンの内側で荷物をカサコソとさわる音。皆、動きがパントマイムの様で、静か
に洗面に行き身づくろいをし、たよりなげに下車していきます。
なんてことのない景色がゆっくり流れてゆきます。
 前夜仲良くなった女の子が下車しそこない次の駅で慌ただしく降りてゆき、そろそろ
音に色が付いてきた感じで「朝」がやって来ました。
主人も上段から空いた下段の席にごろりと横になると、少しまぶしそうに外を眺め本を
読みだしました。
寝不足はつらいけど、このまったりとした雰囲気は何とも気持ちの良いものでした。

 青森の主人の実家に着いたのが昼頃、いっぷくの後主人の叔父さんに温泉場まで
案内してもらいました。ゆっくり湯船で旅の疲れを・・と思っていたのですが、お湯が熱
過ぎてユックリなどとても無理。見ると湯船を取り囲むように数人の人が木枕をして寝
ているではありませんか。少々抵抗を感じましたが、旅の疲れには勝てず寝てまえ!
と、どっかり横になりました。熱いお湯のおこぼれが体にちょうど良く、どこのよそ者が、
なんて思われてはいまいか、いやみんな裸やわかれへんで・・と夢うつつに思いなが
らウトウトと過ごしました。
                                         〜 続く 〜
                                           
                                            目次へ 戻る  
                   
                      *******

2008年10月19日

すっかり更新が遅れ、きっと温泉場の私はのぼせ上がっていることでしょう。

 温泉でのうたた寝は最高で、30分ばかりウトウトしイイ気持ちで上がりました。
主人は「みんな寝てるねんで、信じられへん」ときっちり入浴して出てきてました。
足湯を楽しんでいた叔父さんが明日は「ウニ丼の美味しい処」へ連れて行ってくれ
るとの事。明日を楽しみに、家に着くと義母の手伝いもそこそこに、早々と2階で寝
てしまいました。階下では、今日はここに泊まると言う叔父や、主人、両親達の青森
弁がしばらく飛び交っていました。

 次の日、お仕事のある義父はほっといて、叔父と義母と姪っ子を引き連れ、ウニ丼
へまっしぐら!ならぬ、クネクネと山道を曲がり曲がり走り、少し気持ちが悪くなる頃
やっと着きました。
小さな一軒家の、どこの飯場やみたいな板の間に座り込むと、気分の悪さもどこへ
やら「ウ、ウニ丼」「三色丼」、と興奮気味に大声を張り上げてしまいました。
生ウニでご飯が見えない位のウニ丼。ウニ、いくら、アワビ(なんと贅沢)の三色丼
(私が注文、一番高価かった)。他にも味噌汁、
漬物、煮物等が付き文句なく美味しかったです。
(書いてる最中にもよだれが〜)。
値段も、こんだけの品質でけっして高くない!と
主人は叫んでおりました。
満足満足、後は「仏ヶ浦」に行くっぺ、となりまして
私が払う、いや俺が、と大もめした挙句、叔父さん
に御馳走になってしまいました。
       ありがとうございました!!                               
                                                                                                              〜又もや続く〜
                                                                                 ******

2008年11月23日

 美味しいウニ丼を御馳走してくれましたシャイな叔父さんは、現在独身で家持ちながら
近くの養老院に「実績」を積むため食事等利用しておられます。
さあ、叔父さんの運転で仏ヶ浦へ一直線です。又もや気持ち悪くなる様な蛇行運転で
30分位走り、やっと着きました。上からの眺めは雄大でおごそかな雰囲気、「・・・・・」
言葉になりません。確かに観音様、仏様みたいに見えそうな崖が整然とそびえてます。
しばらくは只只見とれていました。
そんな雰囲気も束の間、はしゃぐ姪を追いかけて滑りそうな階段(崖に段を付けただけ)
をそろそろ下り「あぶないで〜」(って私の方があぶない)と叫びながら浜に下りて行き
ました。
例の観音様達は大きすぎて只の大岩ですが、何となく有難味が感じられ、白い砂と透き
通った水は気持ち良く、しばし浮世の苦労を忘れさせてくれました。       
船での遊覧後、向岸に先回りした叔父さんの車で帰宅、本日の予定終了となりました。
 
 夜の宴会までする事もなく二階でごろごろしていますと(役に立たない嫁です)「ただいま
、仕事より戻ってまいりました!」と義父の元気な声が聞こえてきました。
私達が浮世の垢を流している間、義父は八十を越した身体でお仕事に汗を流しておられた
のです。こまめでほんとよく動きます。(ウワー寝てられんぞ〜)
 
 夜遅くには近所の叔母さんと横浜から「青春切符」で青森入りした叔父さんも参加して
私には何語かわからぬ言葉が飛び交い宴会もたけなわとなりました。
 主人を「期待の星だった」としきりに過去形でほめちぎる看護師の叔母さんは、お仕事が
終わると「別のお仕事行ってきま〜す」と元気にパチンコへおでかけになり、「こっちの仕
事は出すばっかりだ、は、は、は〜」、となかなかの豪傑です。
青春切符の叔父さんは、パチンコの叔母さんの邸宅の庭にテントを張って寝て居られると
の事。義母が出したタンポポ汁を「もうちょっとシャッキっとした方がいいな」と言いながらも
美味しそうにすすって居られました。

こんな落語の「長屋の花見」みたいな一席を、只ボケ面で聞いている私です。

      〜スミマセン書き出すと次々とオモロイ、いや、素晴らしい話が・・で    又もや次回に続く〜
                   
                                   
                     *****
                         
2008年12月8日

 たったの三日間の青森でした。
三日目の朝、主人がヤイノヤイノとせがむので、「あんバターパン」なる物を買いに走り
ました。食パンにバターを塗りその上にアンコを塗ってもらうのです。小さい時、こんな
上手いもんがあるのかと思ったそうです。
 お昼に義母お得意のラーメン(インスタントなれど麺が上手い)と「あんバターパン」を
食べました。主人は「ちょっと餡が少ない」等と言いながらも、美味しそうな恵比寿顔。
いつも通りおだやかに、エッそこに居たんだと忘れそうな位静かな義母が嬉しそうに見て
います。義母は言葉使いや表情にあまり変化のない方で、いつぞやは、「エヘラエヘラ」
とバカ面で聞き流していたら、実はお小言だった、なんてこともありました。
 さあ義母のラーメンも食べたし、出発です。
おじおば達に見送られ、義父の運転で最寄りの駅まで送ってもらいました。
小雨の中、ホームから見るお二人は心なしかさみしそうに見えました。
ありがとうございました、どうぞいつまでも仲良く元気で居て下さい。

 青森駅で、時間調整に主人は「別のお仕事」、私は喫茶店で読書、そして夕方「ごはん
代が出たかな」と嬉しそうな主人と共に寝台特急に乗り込みました。

今回は慣れと工夫で少しは快適に眠れそう?準備万端、下段の隣同士で、飲み食いし
ながら読書三昧です。東野圭吾「ガリレオシリーズ」と長部日出雄「津軽じょんがら節」他
2冊、何なんでしょうねこの組み合わせ。
 しばらくすると、どこかの国体に参加する選手達が乗り込んできました。
ジャージ姿の女の子、私の上段に決まると「ウソ〜何で私一人、寝られん」と叫びました。
(解るその気持ち!)。そんな騒動もやがて納まり、近くでコーチ?と乗客の「オリンピック
・・お国の為・・」なんて会話がしばらく流れてました。
 ガリレオシリーズ1冊読み上げる頃にはウツラウツラ、主人はとっくにいびきをかいてます。
ゴトンゴトンを背中で感じながら「雨やな・・」と思う間もなく寝入ったようです。

 「えーこの列車は豪雨の為3時間遅れで・・」、朝5時頃、最初の放送が流れて目覚めまし
た。例のジャージ姿の一団が、さすがにヒソヒソと騒ぎ出しました。あのまったり気分はどこえ
やら、にぎやかな朝が来てしまいました。
 ジャージ軍団が降り、携帯で「列車が遅れたとよ、じゃけん・・」と母親に電話していた上の
兄ちゃんも京都で降り、私達は2時頃新大阪に着きました。はーお疲れさまでした。

 も一つオマケです。時間遅れでなんと片道料金の一人分位が返って来ました。

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