ひじり屋物語 バックナンバー 2009年 】


2009年1月20日

 遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。
ひじり屋にとって慌ただしい年の始まりとなりました。骨董ジャンボリーが1月9日からでした
ので、食っちゃ寝―の正月ボケにムチ打って準備をしアレヨアレヨの間に東京行き、何とか
売上げを上げ帰ってまいりますと、待っていたかのように大量の着物等が入荷し、ひっちゃ
かめっちゃかで着物と大格闘した挙句、まあこの私が、馬鹿は風邪ひかないのこの私が、
少々具合がおかしくなりました。私の場合は熱は動いて飛ばすタイプですので、1日ずり落
ちるマスク上げ上げ、あっちへ発送こっちへ電話で何とか店を格好つけて、依頼されていた
写真撮りや銀行回りや四天王寺の用意、昨日は在庫調査までバイトさん達とでヤッチマイ
マシタ。はい見事に熱は下がり、売上はすこしあがりまして、万々歳です。これで明日の四
天王寺の(雨らしいが)売上が良ければ、今年は年の始めから縁起がいいぞ〜、と叫べる
んですが。
 約12年位前、なんと12月31日迄店の模様替えに頑張り、三が日だけ休み4日目から又
模様替え、なんて事がありました。休みは定休日以外正月の3日間だけで二人ともあんまり
倒れることもなかった。無我夢中で、若かったと言うよりホント要領が悪かったのではと思い
ます。
 それに比べると正月は一週間、盆は3日間の休み、ひじり屋も出世したもの、ひじり殿も年
をとったもの、太ったものです。「は〜、しんど」が口癖で、過去のお働き等、夢の又夢です。
でも16年間店をつぶさずやってこれただけでも、よしよしと思ってます。
 それもこれもみな、私の努力のたまものだと自負しておりますと、「俺のお陰や」と隣で誰か
うるさく言います。ハイハイ。
 
  今年も楽しい店造りに頑張ります、
                よろしくお願い致します。
                                                目次へ 戻る


2009年2月7日

 決算の準備で気分が鬱々としている所にジンマシンで顔が腫れ、イヤ〜な年の始まりだ
とがっくりしていましたら、国焼きの大先輩で、よく教えを乞うているM氏がお店をオープン
したとの事、やれそれと主人と二人で駆けつけました。
 
 古美術喫茶「お憩み処 錦城」は思っていた通りのほんわかした雰囲気で、3人の主婦が
前客でお喋りしておられました。
主人はコーヒー、私は抹茶をもどかしく頼むと、早速、味わいのある飾り棚や小引出し等に
きれいにズラーと並べられた兵庫の焼き物を拝見となりました。
見慣れたものもあれば、これは志手原、a平、あれは三田の赤絵、エエ〜!!となりまして、
予想以上のワクワク感で、私はバカづら全開で見させて頂きました。
 主人に「この三田の赤絵の角皿、ちょっと小ぶりでエエ色やね」と知ってるだけの知識を振
り絞って言いますと「こんなんMさんにしたらまだ序の口や」「もっとすごいんや」と普段から付
き合いのある主人はいとも簡単に述べました。「エエ〜!」は続き、目は開きっぱなしです。
あの「志手原のふたもん」と、この「三田の赤絵・・」は、エライ気に入ってしまい・・。M先生早
く飽きて「そやな〜まわしてもええかな〜」となって下さい!と、ホント下世話な事を考えてしま
いました。
心を入れかえて?お抹茶を頂き、フト手にした品を見ていますと「これは***でなぁ〜@@
の・・・・」(ホントすみません、やわらかな語り口に思わず聞き惚れてしまい、いったい何を説
明して頂いたのかどうしても思い出せません)、しゃちほこばって小難しいことを聞かされるの
で無く、訥々としたおしゃべりは民話を聞くようでした。 M氏の知識と遊び心は勉強になり、
おかげ様で厄払いができて良い年の始まりに転じました。
今回は火入れと盃台の特集?、次回は「飲む,呑む」をテーマに盃やお煎茶の茶碗、それ
に関係する器を並べますとの事。月毎の主題を決めての展示、これも楽しみです。

奥様とお二人、ちょっと恥ずかしげに応対されているのが好印象でした
 
      * 「錦城」とは明石城の別名らしいとの事です。

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2009年2月22日

 年末年始雨に泣かされた四天王寺さん、2月やっと天気に恵まれました。

 四天王寺と言えば有名なのが亀池の亀、何十匹もの亀が春ともなれば木台に寝そべ
ったり泳いだりして、お参りの客の目を楽しませてくれますが、実はもう一つ有名なものが
あります。「百円お好み焼き」なんです。なんとイッチョマエに卵が1ヶに、キャベツ、天かす
、紅しょうががタップリ入って、これで100円か!と感心しております。いつも20〜30人の
行列で、ざるを持った兄ちゃんが「ハイ何枚?」と順番に聞いてお金を集金、札を配るでも
記録するでもない、出来上がりのお好み焼の前で自己申告です。「大丈夫かいな」「2枚言
うたけど、3枚や言うてこましたろか」と不埒な事を考える人はいないのでしょうか。
いつもおばちゃんが二人におっちゃんが一人で手際よく焼いております。私達が四天王寺
に出店しだして16年位になりますが、「その時から焼いてるでこのおばちゃん」って方が一
人居られ、若かりし頃はさぞや日本的な美人では、と思わせるんですが、今ではやせ細り
顔もとんがって色つやも悪く、この人気のお好み焼きに生気を吸い取られているのでは、
とつまらぬことを考えてしまいます。
見ていると人それぞれ手際が良かったり、ちょっとたばこ吸い過ぎやで、それは右からコテ
を入れた方が能率はエエで、と観察しながらの行列も退屈はしません。
(私はちっとも決して絶対、暇ではありませんので、念のため)

 主人が四天王寺の後に買取りが入っていた為、終了後私は知人と食事をし久しぶりに電
車で帰ることになりました。途中梅田で迷子になってしまい、地下鉄から阪急電車への乗り
場を探してウロウロしていますと、「何かうるさいBGMやな〜」と地上に出たとたん、路上ライ
ブに出食わしました。一昔前ならギター1本なんでしょうが、なんとボーカル、エレキ?ドラム、
タンバリンと立派なバンドを組んで演奏の真っ最中。思わず「エエノン?」と周りを見てしまい
ました、許可されているようです。「あいがとう〜ございました〜」歌い終えたボーカルは今の
若者らしい舌たらずでお礼を言い、私は「鼻呼吸を覚えれば上手なるで〜」と心でぼやきなが
ら、阪急はどこや〜見えてんねんけど、「あ〜ここでもライブやっとる」、と結局、阪急から阪神
へJRもついでや、と一回りして阪急に戻ってきた、ようでした。情けない!
(何よりも迷子が心に残った四天王寺さんでした)。               
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2009年3月08日

まったくの素人からはじめた骨董屋、ずいぶん多くの人々に教えられお世話になりました。
16年経った今でも諸先輩やお客様等からのご指導、情報提供に、ありがたいやら、こちら
の不勉強を思い知らされるやらの毎日です。
 
 先日もある方より兵庫の焼物「三田焼」の「江戸買物独案内」の件で多々資料の情報をご
連絡頂き、広がりのある助言で色々勉強させて頂きました。又他の方からは「三国焼」の件
でお問い合わせがあり、当方では資料がなく申し訳なかったのですが、楽しいお話しが出来
まして、何とか三国焼き探してみたいものだ、と励みになりました。
 お二方とも親切に何度もメールを下さり、「兵庫の拙い骨董屋」としては走り回って一つでも
資料を探し、コレです!と報告したいと思っております。

 オモシロい焼物やな〜で始めた「兵庫のやきもの展」、年月を重ねるほど「もっと広く味わっ
てもらいたい」の思いは強いのですが、いかんせん物によっては資料が少なく、収集もままな
りません。試行錯誤しましたが、偉そうに構えるより皆さんと一緒に「兵庫のやきもの」を掘り
下げ良さを広めていきましょう、の思いで続けています。

どこかで話題にのぼれば、こんなうれしい事はありません。

 今回の三田焼、三国焼の件「兵庫のやきもの」のページでぜひ近日中にご紹介したいと
思っています。楽しみにしていて下さい。
 「兵庫のやきもの」が取り持つ縁ですが、お国を越えてのおつきあいでうれしい出会いとなり
ました、ありがとうございました。                   
                                               目次へ 戻る

                                                
2009年4月2日

 春の行事「京都大アンティークフェア」も無事終了しましたが、期間中、店の方へ来られた
お客様が居られ、仕方ないとは言え申し訳ないことをいたしました。
東京からわざわざで、お目当ての品も骨董祭に出品しており無駄足をさせてしまいました。

 ひじり屋は毎年3件の骨董祭に参加しております。「東京ジャンボリー」「京都大アンティック
フェアー」「横浜骨董祭」で、2〜3ヶ月毎にどれかの骨董祭に出店していることになります。
 骨董祭に参加する目的の一つに、幅広いお客様との付き合いがあります。関西のお客様、
関東のお客様それぞれ特色があり、毎回会えるのを楽しみに商品選びをしています。
「あ〜こんにちは、ご無沙汰です」、おなじみのお顔を拝見するとうれしくて仕方ありません。
骨董談義に花を咲かせて、今日はいい1日だと喜びます。

 お店でどっしり構えて売買、とはいかないのがこの商売で、それ以外にもセリ市場や買取に
出かけたり、特に主人は殆ど店には居らず走り回っております。もっとお客様とじっくり膝を突
き合わせてお話ししたい、とは思いながらもままならぬこと多々あります。
 今回も遠路はるばるのご来店に、主人はうれしいやら残念やら申し訳ないやらで、恐縮して
おります、本当にありがとうございました。どうぞこれに懲りませず、今後ともよろしくお願いい
たします。
 
 勝手なこととは存じますが、来店の折には事前にご一報頂ければ幸いです。
又、お会いできるのを楽しみにしております
                                               目次へ 戻る



2009年4月30日

骨董屋をする前は、私は(無能な)経理職、主人は大工、と全く関係のない職種で、もち
ろん骨董屋に出入りする趣味なんぞはありませんでした。フリーマーケット参加で物が集
まり、私は仕事を辞めた直後でしたので、まあ「ちょっとだけ古いもの」の店でもやろか、
とよく考えもせず始めたのです。
 と、急になんでこんな話をするかと言うと、四天王寺で懐かしい人とお会いしたからです。
まだ骨董屋になる1年程前、知人のブティックで知り合った銅や真ちゅうの象嵌細工の作
家さんです。当時「工房ドゥードゥー」を、方向音痴で美人の友人と二人でやっておられま
した。

 「誰かわかる?」とマスクをとったにこやかな笑顔を見て「おっさん!」と私は叫びました。
「太ってなぁ、この頃はやっとオバハン、て言われるようになったで」。確かに20年前はおっ
さんが似合う雰囲気でした。(ちなみに私の周りには「オッサン」と呼ばれる女性がいっぱい)

 彼女は10数年前に身障者の自立支援センターを立ち上げ今も元気に取り組んでいます。
「生活できてんの?」、「わからんけど、何とかやってるで、走り回ってる」。
ドゥードゥーは幻と言われるノロマで飛べない鳥・・・らしきイワレを昔教えてもらいましたが、
昔のまんま二人で頑張っているのを聞くと、ほんと何だか彼女達の生き方そのままや、と妙
に感じ入ってしまいました。現在、工房の方は活動してない様で残念ですが、センターの仕
事や運営のお話しをされる時の(しんどい部分があるはずなのに)ちょっと楽しそう様子を見
てると、そうそう昔もこんなホンワカとした雰囲気で語ってたな〜、と懐かしくなりました。

 私達は遊びがてらブティックの前でフリーマーケットらしき事をさせてもらい、終了後納品に
来た彼女達とビールで乾杯し飲んで食べてクッチャベッたものでした。その当時もやはり「一
生懸命エエもん造ってるけど中々売れません」と気概満々なれど、どこかゆるい生き方が私
にはうらやましくてなりませんでした。
ホイッスル


私達がまさか骨董屋になろうとは、そして彼女達が
「工房ドゥードゥー」とおさらばして支援センターを立
ち上げようとは、思いもしませんでした。
                                                                          〜次回に続く〜       
                                                                                                            

                                                    *******


2009年7月4日
 
岡林信康にトキメキ森山良子の「禁じられても・・・」に涙した一番輝いてる時は夢に向
かってまっしぐら。もっと小さい時、師走の買い物で、髪ふり乱して商いするオバサンを
みて絶対商売人にはならん!と強く思ったものでした。ですから、デスカラ、・・・・・・・・
人生はわからないものです。

四天王寺終了後、おばさんらしくなった彼女と久しぶりに食事しました。昔とあんまり変
わりません。今の方がシンドイ、と思うのですが心身ともにもっとホンワカした感じです。

私が仕事を辞めていたから、主人の給料に余裕があったから、物がいっぱいで倉庫借
りるんやったら店した方が、と思ったから、ホントのところ考えが甘かったから、かな。
骨董屋を始める時、周りの皆は「ヤレルんやろか」と心配したと思います。
賢い主人はともかく、私は「ボーとして、あまり役に立ちそうにない」様に見えたし。
唯、ユラユラしながらも結構しぶとくやれるタイプなので、私自身はあまり深刻には考え
てませんでした。
確かに店をやりだすと客は来ない、物は売れん・・・でしたが、ノウハウがわかれば人は
工夫する(それが私の場合少し時間がかかる)、主人がすぐ行動し私が目を白黒させて
追いかける、なんか知らんけど店をつぶさずに来れた・・。
開店して2年位だったか、「工房ドゥードゥー」の作品を展示販売することになりました。
しかし客は来ず、物は売れず、ほんと申し訳ないことでした。ゆるキャラの彼女達ですが、
きっちり意見を持ち、現状を把握していて「プロや」、とつくづくこちらの甘さを知りました。
そのゆるキャラと現実を見据えた厳しさ、が「工房ドゥードゥー」の魅力と今でも思ってます。

四天王寺でその後日談を聞いたつもりが、何だったのかあまり覚えておらずちょっと悔し
いので「お店においで、隣の美味しいタイ料理食べながら又くっちゃべろ、もう一人の彼女
も連れといで」と、お誘いをかけてます。

もっとイッパイ彼女達の事話したかったのですが「よう、解っとらんかった」事が解りました。
次の機会には彼女達と「自遊工房」のお話しを紹介したいと思います。
今回のまとまらないお話し、取り合えずお終い。    

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2009年7月25日

   前回紹介しました「自遊工房」、は障害者自支援法に基づく作業所です。
  私は残念ながらまだ訪問したことがありません。時々「自遊通信」なる会報
  が送られてきて、スケジュールやお話し、マンガ等を笑いながら読んでます。
  この掲載されている写真や文章がちょっとオモロイ!!。


      〒590-0007堺市堺区北庄町1丁6-24
      TEL.072-227-8950

  障害をもつ人ともたない人が、ともにできることを見つけだし、ともに作業をして
  いくなかで、自立への道を探していく場所です。
  そんな協力作業のなかからそれぞれが、個性を発揮して、レターセット・一筆画・
   ポストカード手芸作品などを販売しています。(一部掲載)

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2009年8月19日

 「暑い!」の言葉しか出ない今日この頃。このくそ暑い中、なんと車で青森へ行って
まいりました。何とか安く楽にあげようと、知人のMさん達を拝み倒し運転交代で、往路
東京、復路金沢を経由し、ひどい渋滞にも合わず、無事ひじり屋の夏休みとなりました。
コレモアレモ「みんな私の普段のオコナイガいいから」と、皆で声をを上げたものです。

 車での遠方移動はしんどいもの、東京骨董祭行きの車内はどんなものかと言いま
すと、追い越し車線を80キロ以下で走っている車があれば、「このバカ車が!チンタラ
チンタラ走るんじゃねえ!」と主人が毒づき、「チンタラホイ、チンタラホイ、チンタラ峠の
車はホイ・・」と、私は童謡を唄ってなだめます。なかなか退かない車には「はい、前の
ナンバー***さん、ドイテどいて、聖さまのお通りだ〜」と、もちろん窓はちゃんと閉め
てどなります。
 何もはじめからこんな楽しい道中であった訳ではありません。東京からの帰路「寝とけ」
と、やさしい聖様のお言葉に甘えウトウト良い気持ちでおりますと、「あぶな!寝とったわ」
とノタマウ聖様の声に目を覚ましました。それからはそれからは、眠れません。「うそつけ
イビキかいて寝てる」と主人はおっしゃいますが。
以後主人が眠そうでしたら、話しかけたり大声で歌ったり、時には「この車は時速**キロ
メートルで走ってます、では2時間後はどの辺りでしょう」と、クイズヘキサゴンさながらの
算数問題で馬鹿にされながら、助手席で何とか補助を努めております。

 さて今回の青森ツァー、私達とMさんと従業員さん、総勢4人(運転手2人)「運転を代
わってもらえると思うだけで楽」と主人はご満悦でした。後席のMさん達は、当意即妙な
対応で座を和ませてくれ、私も気分的に楽(役立たずの私)。途中のSAでのまずい食事
もワイワイ食べるとそれなりに楽しく、運転交代でご主人様は後ろの布団で一休み。
Mさんの軽やかな運転で私も後席でウトウト。「降り出した」、「あんたが運転すると降る」、
「私は渋滞要員や」等々、時々運転席から聞こえる話し声ものんびりといい気持ちです。
まずまずの滑り出し、のはずでした。
 一眠りしてルンルンの主人でしたが、長野県飯田阿智PAでの燃料補給に、なんと軽油
とガソリンを間違って注入してしまいました。こんなミスは絶対しない人です。
あ〜JAFの車に車ごと乗っけられて高速を走ったぞ〜。油抜き等で2時間ほど無駄にした
けれど、それなりに面白かった。
それから主人はくそまじめな顔で東京へ向けて走り出しました。はい、皆ちょっお疲れ気味
、静かな東京入りとなりました。
                                              〜続く〜 
                                              目次へ 戻る
                      *******
2009年8月29日

 ETC車載の高速1,000円が一回分余計になりましたが、「走る前に気がついて良かった」
と慰めあいお疲れモードで東京のちあき様マンション到着、午後9時の晩御飯となりました。
ちあき様の猫事件を再度(ジャンボリーの時に聞いた)聞き、又もや盛り上がって東京の夜
は更けました。(この話絶対面白い!読んで下さい)

 翌朝9時前に、ちあき様のおいしい朝ごはんを頂いて出発。Mさんは一睡もできなかった
様子、しばらくは主人の運転で後部でゆっくり寝て頂きました。走るほどに空気は爽やかで
涼しくなり、東北に向かってるって感じです。昼過ぎ「ばっちり寝れた!」Mさんと交代し「だい
たい感もつかめたし」と昨日よりスピードが上がり、心のはやる私はひそやかに喜びました。
心配するほどの渋滞にも合わず、そう、昨日のガソリン事件で「厄払い」したのか、スムーズ
な行程となりました。それにしても遠い。私はひたすら場所表示のキロ数と車のメーターを見
くらべ「ハヨ走れハヨ走れ!あと**時間、うそ、まだまだや〜」と、上の空で皆と話しを合わ
せながら、遠さに目もくらむ思いでした。
それでも、青森には予定通り?午後9時着。チェーン店で遅い晩御飯を済ませ(予想外に安く
美味しかった)実家到着午後11時、義母様が寝ずに待っててくれました。(義父様は明日お
仕事とのことでオヤスミです)

 「は〜、14時間かよ」心の叫びです、主人もMさんも御苦労さまでした。

                                         〜 続く 〜
                                               目次へ 戻る
                    *******
2009年9月12日

こうして書きますと、高速を走っている分には話しらしい話もありません。主人達が神経
を張り詰めてる割りには物事はあたりまえの様に過ぎていくと言うことでしょう。まあ世の
中こんなことイッパイありますけど。

(長時間かかる)青森行きはSAでいかに美味しくご飯を食べるかに頭を悩ませる位で、
感嘆した景色も続けば退屈になり、結局は車内で家庭や仕事の話題となります。「只今
**に向かっております、って、みんなにメール送信したで、誰が一番に返事来るかな」
と、Mさん(いつも元気で話題も豊富、そして勉強家)のお陰で私は助手席でぼーっとでき
、地図見て**を探してくれなんて言う主人の難問には、Mさんちの従業員さん(この方
寡黙でシッカリ者の上に話のわかる人)に「お願いします」と、地図を渡し、頭をイライラせ
ずに済ませられます。
「着物の手直し先を教えて」、「メールに写真を添付する方法」、「お客様より割引の件で
クレーム」等々、他、買取リ依頼も含めそれぞれの店からの電話を次々処理し、私達は
高速道路を東北に走ったのです。

いつもどおりの時間が過ごせるのは「無事に運転できている」と言うこと。
しんどいのは運転している人だけ、有難うございます。
青森の実家に着くなり、Mさん達は足マッサージ器で疲れを癒やして居られました。

                                            〜続く〜
                                                                                              目次へ 戻る
                     *******

2009年10月15日

 やっと付きました青森、次の日から、仏ヶ浦、恐山、ねぶた祭り、そして二日目には
函館をチンチン電車で五稜郭、函館山の夜景、教会等をまわりホトホト疲れました。
日頃こまめに動いてるから私は大丈夫、と何の根拠もなく思っていたのが見事に否定
され、歩くことの重要さを身にしみて感じさせられました。
 夜遅くに青森に戻り、静岡の地震、作用町の水害等で高速の渋滞を考え、予定を早
め次の日早朝7時に出発となりました。
夜中12時過ぎ「金沢」着を狙い、適度に飛ばして、でも思ったより休憩もしましたよね、
みたいな感じで走りました。運転手二人もさほどの疲れを見せず順調、どこぞの休憩場
では四方山話中に女達はフラダンスや柔軟体操をしたり、余裕有りの帰途となりました。
 さあ、¥1、000の高速料金をめざして「金沢西」の手前のSAで時間調整と作戦タイム。
明日の日付をカウントダウンし、食べた夜食もどこへ入ったやら、出発進行!!
時計とにらめっこで「金沢西」のインターを降り、料金¥1,000を確認すると、皆で拍手
喝さい、予約したホテルに駆け込み、ハイ、オヤスミなさい、となりました。

 ナンヤネン、それぞれの名所はどうなってんねん、と怒られそうですが、今回の旅行で
高速料金¥1,000に影響(ふりまわ)された「ひじり屋の夏休み」についての考察
を紹介したいと思いましたので、ご容赦ください。

 もちろん、「ウニ丼」等Mさん達に食して頂き、恐山、仏が浦には感激してもらい、ねぶた
では、傍らでお二人共身ぶり手ぶり(上手)で踊っていただきました。函館山の夜景は雲
が多く殆ど諦めて登りましたのに、食事を終えたとたんナント「感激!」する程の美しい景
色が広がり、皆で写メを撮りまくりました。(又もや口々に、日頃の行いが良いから、と言い合いました)
チンチン電車も何か懐かしくて嬉しかった・・・・・・・。

走ってのご紹介、スミマセン

                    *******

2009年11月01日
                                    
 次の日晴々と起床。
本日は、ゆっくり金沢を見学して帰るだけ、時間を気にする事なく気分的に楽です。
「金沢美術館・尾山神社の能面U」、お気に入りのお面がありじっくりと拝見。
「中村記念美術館・香道具銘品展」、品数が少ない感じでしたが、上品で美しい、あまり
お目にかからないお道具です、しっかり勉強せねば。
長町武家屋敷界隈一角の、中級武士の屋敷跡は、生活道具共々設置されてあり、思っ
たより質素、でも地に足付けた暮らしが感じられ、武士の生き方を垣間見た思いです。
(チャラチャラしてへん、筋が通ってる!)、ちょっと住んでみたい気分でした。
他に「成巽閣」前田家伝来夏衣装と調度展等々。
 
 午前中いっぱい足に任せて歩き回り、疲れた!!。お土産を買い、やっと帰るぞ〜。
二度ほど休憩をとり宝塚に着いたのは夕方、これからMさん達は神戸へあと一走りです。
Mさんは金沢で車を待つ間もフラダンスの予習、普段の「早朝あるき」の実力をいかんな
く発揮されて、従業員さん共々元気元気。つくづくあるきの重要性を思い知らされた、私で
ありました。
途中の夕食後、あれこれ思い出しながら高速料金他精算をし、金額をはじき出すと、確か
に安い!。「シンドイ」が口癖の主人が、あまり疲れた様子を見せなかったのは、金の力か。
いいえ、Mさん達のご協力有っての事です。

 夕暮れの中、帰って行かれるMさん達の車を「有難うございました」、と見送りました。
ハプニングも有りバタバタとした旅でしたが、お二人共楽しんで頂けたでしょうか。

                                                                                        

              【バイトのつぶやき】

 時々外国の方が来店されます。
英語の苦手な私はこれまた大変!
身振り、手振りと単語(正確?)での接客。
お互い、やたらと「サンキューサンキュー」の連発でした。
古い品がお好きな様でその日は縮緬のハギレを購入して頂きました。
有難うございました。

 しばらくすると英語の得意なお客様が来店。
「さっきまで大変だったんです・・・」
「いつでも電話して、参上しますわよ」と有難いお言葉。
そんなこんなで楽しい店番でした。

                                          目次へ 戻る


2009年11月23日

 小学生の頃、たいがいは故郷の島
(山口県 周防屋代島)で夏休みを過ごしていました。
或る夏、「夏休み大会?」が近くの島であり、親戚一同?小舟で渡り、さぁ船を浜まで引き
揚げるぞ、と引っぱり出した時、足が滑り舟下にのまれそうになりました。「えらいこっちゃ」
「恥ずかしい」「死ぬかな〜」と、愚にもつかぬ事が頭をよぎりながらも声を出せずにいると、
「おー正子が船の下になっちょる」、との誰かの声で救われました。
大した怪我もなく、宝探しやかけっこ等に参加し、お菓子をもらった様な・・・。しかしはっきり
覚えているのは、従兄弟が黒んぼ大会で優勝した事と、大声が出せなかったな・・・って事。
 
 先日の雨の日、ゴミを捨てようとして店の入り口で滑って転び足を骨折した。その時も店前
に人を確認すると、何でもない様に「あれ、痛いな〜、」とツブヤキ、でも落ちたゴミ袋はその
ままで、足をかばいながら店に入り、発送用の荷物の上で激痛にうめき声を上げました。
そして、格好つけてアホか、痛、痛すぎる!、表のゴミ袋なんとかせんと・・、心は千々に乱れ
ながらも、一呼吸後「冷やさないと!」と考える位の余裕はありました。台所へつたえ歩きで
一直線、蛇口の水で不自然な恰好でしばらく冷やした上、最寄りの医院の開院時間待ち。
待機中、親しいお客様には宅急便の手配やら、憎らしいゴミの処理やらでご迷惑をかけた上
、斜め向かいの医院まで肩を貸して頂いたり、有難いことでした。
 まさか骨折とは思わず、店の事や仕事等、初めて何が大変なのか、激痛が治まった頃に
は逆にパニックで、仕事のやり繰りに頭を痛めました。

 全治40日以上らしく、今から寝正月かよ〜、うれしい様な、不安な様な、複雑!!。

 松葉つえで歩いていますと、微妙に車が優しく、必ず徐行してくれます。「まあ大変ね」「早
よせんか」、運転手の気持ちは様々でしょうが、助かってます、よろしく!!。
 主人の聖様も大変やさしく、私が家で四つんばで這いずり回っていると、後ろから「ハイヨ
ー、ハイヨ―」と馬にムチ打つごとく声をかけ励ましてくれます。(有難う、テメェーが骨折した
時には私が馬乗りになって叱咤激励してあげましょう)
しかしまあ、洗濯や、買い物、思ったより楽しそうに「へん、こんなん簡単お茶の子さいさい」
と、ノタマイながら要領よくやってくれてます。(アリガトウ、以後よろしくね)
階段の登り降りも主人がおぶってくれるのですが、いかな聖殿でも「死にそう!」と、さすが
に要領良くは出来ず、ヘタッテます。(ありがとう、お互いいい経験ができましたね)
ちなみに今は、ひとりで松葉つえを使い頑張って上り下りしてます。
 
 30秒位の講習でしたが松葉杖は慣れるものです。焦らず歩めばイッパシのけが人らしく
前に進めます。ところでイッタイ足はどうなっている?今では二本足歩行が想像できません。
復帰後の第一歩はどんな感覚なのでしょう、後日機会があれば報告いたします。

 まあ、少々店を留守にしても何とかなるとワカリマシタ。トホホ!役たたずの店主です。
 何かとせわしい年の瀬、みなさん気をつけましょう。

 *全治40日ではなく60日との事、年内いっぱいギブス生活。来年のジャンボリー迄には
  間に合えばいいけど。                                          
                   
                   【バイトのつぶやき】
  顔なじみのお客様へ奥さんの骨折の報告!
  「ゴミ出しに行く時、店の入口で滑ったそうです。
  突然の事に身体と行動が就いて行けなかった様ですわよ。」
  「大変でしたわね。この際、ご主人に甘えてゆっくりしたら良いわ。
  もう、二十歳?でもないしお互いに気をつけましょうね。お大事に・・・」

  私も奥さんの休みの間、店番ガンバリまーす!
               
                
                
 * 有難う、年齢を自覚し、頑張って養生に努めます。バイト大変ですがよろしく。
                                             目次へ 戻る



2009年12月22日

 今年もいよいよ最後の催事、「兵庫の焼き物展」の時期となりました。
準備は前日の月曜日、今年は私が骨折の為、主人とバイトさん二人。
(ちなみに私は電話番と雑用で参加)。サテサテ、どんな風になるのやら。

 主人参加は近年ないこと、皆少々緊張気味、ピリピリしながら指示を待ちました。
「まず着物の場所整理して」の声に私も(口先だけ)参加して、行李を重ねたり着物を
飾ったり・・。出来ました!の大声を上げましたが、主人は何やら考慮中、こんな時は
何を言ってもダメですので、私は電話前に戻りそば猪口のキズ点検と値段付けを、
バイトさん達は健気に掃除をしたりして、次の指示を待ちました。そば猪口の点検が
はかどらない私がイライラし出した頃、「この箱の中の物出して床に並べて」の声にバ
イトさん達は動きました。始まった!とホットし、私は年賀状の確認作業のお仕事を。
 
 「不要分は裏ですって」とバイトの1人が私の横で箱詰めを始めました。
(ハイ、ちゃんと昨日から不用品の置き場所は準備してます)
「6〜7箱は重ねられるやろう」「奥さんワレモノやし、無理ですよ」「ホナ、私らのイスの
後ろに2〜3箱重ね」等ひそひそと思案してますと、向こうでは主人が何やら注文を出し
ながら、皿等並べている様子。いつもの罵声が飛ぶこともなく、静かに物事は進行中。
片付け様の段ボールが3箱になった頃昼食となりました。

 ある意味いい気分転換となり、一服後、宅急便と年賀状の発送を済ませてもらい、作業
再開。さあ、お腹もふくらんで?やっと本調子になった私の本日の締めの仕事は「兵庫の
焼き物展」の立て看板作成。やおら絵具を取り出して??ナント、筆がありません!、手と
端切れで描き出しました。今回は、雲雀丘焼の大らかで力強い作風を紹介したいと、極彩
色の渦巻きを大胆に描きました。最初はイイ感じでしたが、描き出すと絵と字のバランスが
難しく、いつまで経っても渦巻きから進まず、その内箱詰めは着々と進められ、裏側から私
の後ろにも段ボールのビルが立ちました。
 「ちょっと雰囲気見てくれるか」と主人からバイトさんに声がかかり、厚かましく私も飛び跳
ねて参加し「あれが目立たん、コレは下やろ」と、のたまいましたが、意見は却下、スゴスゴ
と看板描きに戻りました。
焼物展の作業が進んで行く中、私はすったもんだの挙句、「兵庫の焼き物展」・「雲雀丘焼
についての考察」の文字の手書きを断念、パソコンからコピーし、「それでエエンチャイます」
のバイトさんの憐れむ声で、OK としました。
小学生の頃通っていた書道教室でも「一つ一つの字は上手いねんけど、大きさや配置がな
んでバラバラなんやろね〜」とバランスの悪さを指摘されてました。もう40年以上経つのに
進歩の無いやつだ。
 
 テナことを考えてますと、どうやらレイアウトは整ったらしく品書きの準備が始まりました。
「ヒバリガオカヤキ・ニシセイウン」「サンダセイジ」辺りはまだ良かったのですが、「コトウラ・
トウザンヤキ」「ホウリンヤキ・ハリハンニワガマ」「マイコヤキ・ワフウケン」辺りになると、
「お、お琴の琴ですよね」、「トウ?」「ホウ?」と声が裏返ってくるバイトさんに「桐よ、キリ、
木偏に同じ」、「カンバシイ、草冠に方向の方」と私。矢継ぎ早に言葉を並べる主人に、バイ
トさんは頭が真っ白状態、「カ、カンバ??」普段なら簡単にわかる字なのに。しかしアタフタ
しながらも、「ちょ、チョットもう一度お願いします」、と苦笑いで返す度胸は、あ〜、このバイト
さんで良かったと、私は意味もなく感心しました。

 こちらからは全く進行状態が見えず、気がついたら思いの外早くに準備が整いました。
ご主人様は要領良く、今回はテーマの品以外は飾り付けを控えた様。看板も何とか格好を
つけ、室内を見渡すと「エエやん」と私はにっこり。意外と落ち着いたホンワカした雰囲気で、
「ほとんど、出してないもんな〜、そらハヨ出来るで」と、憎まれ口を叩きながらも、満足、マン
ゾク。
「絵付けの雰囲気からもっと強烈でガチャガチャするかと思ったけど、嫌みなく出来上がった」
とご主人様もまんざらでもない様子。
例年より1時間以上早めに終え、お蕎麦屋さんで乾杯!となりました。

「来年もよろしくね!」に「アホか」で、今年の焼き物展準備は終える事ができました。
私以外の、皆さま御苦労さまでした。

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2009年12月31日

ゆく年
今年は、私の周りで病気やケガがたくさんあり、最後のダメだしは自分も骨折して、ためいき
の出る様な残念な一年となりました。残りわずかな年の瀬を深呼吸して乗り切りましょう。

来る年
来年は歩こう!と思ってます。おのれをよく知り無理せずこまめに。(ヤッテるつもりだったけど
はい、大きく息を吸って周りを見渡し、広い心で頑張りましょう。


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