人名 |
生没年 |
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出来事 |
1757 |
宝暦7年 |
有田 |
東インド会社との取引も終了 |
1673 |
延宝元年 |
有田 |
それまで品質低下を防ぐため窯焼の数は180人と限定されていたが人数制限が増加 |
1684 |
貞亨元年 |
中国 |
中国遷海令解禁;景徳鎮海外輸出を再開する |
1772-1781 |
安永年間 |
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兵庫港の木屋某が、番頭繁田幸助に命じて飾磨郡糸引村に築窯させた |
1799 |
寛政11年 |
三田 |
肥前より太一郎、貞次郎を招き三輪明神窯開窯 |
1806 |
文化2年 |
瀬戸 |
鍋島藩をあげて守っていた磁器技術を、瀬戸の加藤民吉が持ち出すことに成功 |
1808 |
文化4年 |
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河合寸翁・藩財政の本格的改革に着手 |
1822 |
文政5年 |
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酒井家への徳川将軍家喜代姫の輿入れが決まる |
1822 |
文政5年 |
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興禅寺山窯開窯(姫路藩窯)橋詰藤作初代総取締役池田弥七従事 |
1828 |
文政11年 |
有田 |
有田にて大火、陶工達が有田から流出する |
1831 |
天保2年 |
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興禅寺山麓から姫路城西の男山東南麓に移窯 |
1831 |
天保2年頃 |
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男山窯開窯橋詰藤作引き続き総取締役・婚儀の調度品や贈答品作成のため |
1831 |
天保2年頃 |
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婚儀の調度品や贈答品作成のため尾形周平に弟子入りしていた秋蔵を呼び戻す |
1832 |
天保3年 |
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酒井家への徳川将軍家喜代姫の輿入れ |
1841 |
天保12年 |
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河合寸翁没 |
1853 |
嘉永5年 |
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江戸の喜代姫邸(酒井家江戸藩邸ではない)を将軍が訪ねている |
1853 |
嘉永5年 |
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大島黄谷赤穂焼開窯 |
1854-1860 |
安政年間 |
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男山窯閉窯 |
1854-1860 |
安政年間 |
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姫路六人衆の桔梗屋木綿屋西治屋茶屋などが窯を借り受け製陶を続ける |
1861 |
文久元間 |
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弥七棟梁を辞す |
1861-1864 |
文久元間 |
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藩士金井重造神沢清助等が製陶を続ける |
1877 |
明治10年 |
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永世舎設立 |
1881 |
明治14年 |
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鷺脚焼開窯 |
1882 |
明治15年 |
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永世舎解散 |
1908 |
明治41年 |
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伏見宮殿下が姫路製産品陳列場ご覧の際、献納品の添え状として(東山焼沿革記す) |