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【姫路諸窯関連人物表】

人名 生没年 その他
赤鹿   橘義到の子義実の後を引き継ぐ
池田弥七 1808-1877 藤作の下で製陶に従事、藩窯では棟梁を務める
文久元年独立し安政3年に考案した焜炉が好評をえて量産し、弥七焜炉・姫路焜炉と称された
井手国太郎    
大島宗旦 1971-1904 勅許御鋳物師藤原直吉を名乗る・1853年大島黄谷として赤穂焼き開窯・1877年菊花紋褒章を授与される
尾形周平 1788-1839 初代高橋道八の3男
家業をついだ次兄の2代高橋(仁阿弥)道八をたすけた
摂津の桜井焼,播磨の東山焼,、淡路の珉平焼等地方の窯の発展につくした
小野周文 1847-1935 永世舎画工・京極佐渡守の家臣小野家へ婿入りした父の嘉左衛門は、武士勤めの傍ら画業に専念し唐萃翁と号した
一子に素文(画家)がある
大覚寺に墓がある
金井重造   中間献納品の荷宰領・陶器所支配役・文久年間製陶を続ける
鎌田弥一   男山窯・尺物の名人
神沢清助    中間献納品の荷宰領・陶器所役人・文久年間製陶を続ける
河合寸翁 1767-1841 姫路藩酒井家家老・1808年藩財政の本格的改革に着手、農政改革・新田開拓・木綿専売を行い、27年で藩債完済
川西友三郎   加古川の人・献納品の荷宰領・正保3年上荘の井ノ口村の上流から高砂までの漁業権(加古川)が都染(上荘)の松尾五郎兵衛に与えられた
松尾は升田新田(出河原)から・中津までを直接とりしまり、それより下流から高砂までを寺家町の川西友三郎に任せた
萑亭   京都の画工・男山画工
桔梗屋   姫路町六人衆・安政初年頃窯を借り受けて製陶
木屋某   神戸の人・安永年間播州飾東郡東山村にて製陶業を始める
喜代姫 1818-1868 天保2年12月結婚・文政5年に婚約がなり、天保2年3月、姫路に輿入りした
忠学との間には天保5年3月1日女子が誕生しており、長じて喜曽姫と名乗り、分家から酒井家を継いだ6代藩主酒井忠宝の正室となる
桑原対泉   永世舎画工
鯉屋源七   男山窯・絵付け工
酒井忠学 1808-1844 天保2年12月結婚3代目姫路藩主酒井忠道の8男として生まれ、叔父で4代藩主の酒井忠実の養嗣子となり 第5代姫路藩主となる
正室に11代将軍徳川家斉の娘・喜代姫を迎えた
37歳で死去
家督は娘婿で養父忠実の孫・忠宝が継いだ
酒井忠以 1755-1790 出雲松江藩主の松平不昧と親交を深め、石州流茶道の手ほどきを受け将来は流派を担うとまでいわれた
大和郡山藩主の柳沢保光も茶道仲間であった
酒井忠宝 1829-1853 家に男子がなく、先々代忠実の孫にあたることから、先代藩主忠学の婿養嗣子となる
弘化元年、忠学の死去に伴い6代藩主となる
作根辦次郎   今戸焼の陶工・1848年赤穂訪問大島黄谷に陶技を伝授
繁田幸助   木屋某の番頭・安永年間播州飾東郡東山村にて製陶業を始める
柴田善平 -1902 鍋島藩窯の陶工・明治8年兵庫県にまねかれ、士族授産のため出石盈進社設立、姫路で永世舎指導
号は鴨脚
舜民   京都の陶工(源内焼の舜民とは別人)
管小琴   永世舎画工・天保-安政(1830-60)のころ、賀集珉平のはじめた淡路焼の絵付けに従事した
管盛南 1844-1897 永世舎画工・明治12年永世舎絵画教師奉職・菅楯彦の父
清次郎   俵町木綿屋陶器引換所文政年間寸翁より東山焼の印紙引換所に指定される(穂積家文書)
高津家   明治30年頃まで製陶す
三代高橋道八 1810-1879 2代道八の長男
名は道三光英、号は華中亭・道翁
高松藩に招かれ讃岐窯を開き、佐賀藩では有田磁器を指導した
仁和寺宮より法橋に叙せられる
高原治兵衛 1804-1880 姫路町六人衆の茶屋 安政初年頃窯を借り受けて製陶
光悦作銘不二山の箱書きに「1839天保9戌11月比喜多権兵衛より高原治兵衛、井上源三郎 宛」の譲状が1通、「天保九戌11月比喜多権兵衛、西白八郎兵衛より高原治兵衛、井上源三郎 宛」と記された證札が1通、そして光悦の娘のものとされる振袖の片袖が1枚収められ、蓋の表に「光悦作茶碗、證札、光悦娘振袖切レ服紗」と墨書きされている
不二山酒井家所持
武田桂圃   永世舎画工
橘仙京   橘遷京の誤伝
橘周蔵   橘秋蔵の誤伝
橘若水 嘉永3年没 素焼の灯篭に此銘あり橘遷喬と同一人か?
橘秋蔵   藩医橘遷喬の息・尾形周平門弟
橘遷京   藩医
橘高由平 嘉永6年没 元出石の絵付け工で、出石屋という
橘義到   男山窯の本窯の近くに土窯を設けて雑器を焼く
橘義実   橘義到の息・橘義到の後を継ぐが明治15、6年頃閉窯
田中由美   永世舎画工・明治12年永世舎絵画教師奉職
珍月   画工
筒井慶蔵   陶工(藩士)
常吉   素焼の灯篭に此銘あり
徳川家斉 1773-1841 寛政元年(1789年)、島津重豪の娘・近衛寔子と結婚
寛政の改革では積極的に幕府財政の建て直しが図られた
徳川家慶 1793-1853 老中首座の水野忠邦を重用し、家斉派を粛清して天保の改革を行なわせた
友七   竜野町米屋・陶器引換所
中尾赤寥   赤穂焼再興
中川勇次郎 1848-1922 旧姫路藩士・永世舎窯詰主任をへて、京都で陶法を学び鴨脚の指導の下、鷺脚焼開窯
中川久雄   2代鷺脚
中嶋卓助   文政5年陶所掛り(酒井家家中席順知行高名前書)
西治屋   姫路町六人衆安政初年頃窯を借り受けて製陶
萩原   藩主江戸御在番に際し徳川将軍当地御通過の節御土産として献納品を製造した時の時奉行
橋詰藤作 1797- 東村山の庄屋・興禅寺山窯築窯藩窯に移管してからは総取締役後名字帯刀を許される
播磨屋角蔵   男山窯・
播磨屋彦七   男山窯・
前賀卯太郎 1864-1828 前賀寥城となのり自宅に窯を作り、赤穂焼を名乗って焼いたが作風は黄谷とは別物
松尾重吉   水穂家で修業
松村辰昌 1838-1915 肥前有田(佐賀県)の人
肥前大川野郡代,兵庫県租税課長をつとめ、明治10年姫路で永世社をおこす
有田より 柴田善平らをまねいて士族授産の製陶工場をつくり、製品を海外に輸出した
晩年は佐賀県勧業課長
松村虎雄   博覧会事務局員か製品図画掛
二代水越与三平   京都岡崎の文山について陶法を学び、五条に開窯
南蛮花入の写し、唐津焼,萩焼の茶道具の写しなど写し物を盛んに作り、亀甲の中に「与三」の2字を入れた印を捺した
文政5(1822)年に加賀(石川県)の陶工桶屋伊三郎が与三兵衛に陶法を学んだことが『九谷陶磁史』にみえる
2、3代と家業を継いだが、万延1(1860)年に陶家の 伝統は絶えたといわれる
水穂十吉   旧藩士・赤鹿家の後を引き継ぐが間もなく閉窯
三田屋春   男山窯・
宮崎霞谷   中川鷺脚と合作する
三輪彦太郎   中間献納品の荷宰領・絵付けに優れる
木綿屋   姫路町六人衆安政初年頃窯を借り受けて製陶
森岡昌純 1834-1898 鹿児島藩士時代、寺田屋騒動(1862)で攘夷派志士を倒して勇名をはせた
明治4(1871)年長崎県大参事、5年飾磨県(兵庫県)参事、7年同権令、9年兵庫県権令11年同県令
弥一郎   素焼の灯篭に此銘あり鎌田弥一と同一人か?
山内武平次   中間献納品の荷宰領陶器所役人
山名勘七   男山窯・
渡辺作次   水穂家で修業
渡辺致清   永世舎画工

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