【墨彩画 杉本健吉】
今回から絵画を少しずつご紹介していきたいと思います。






作者は杉本健吉という方。


杉本健吉 <1905-2004>


日本の画家、グラフィックデザイナー。加藤静児のアドバイスにより図案家、今でいうグラフィックデザイナーとしてポスターや商業デザインの仕事を手がける。1925年に岸田劉生の門をたたく。
26年、春陽会に初入選。その後、吉川英治作の『新・平家物語』『私本太平記』の挿絵を担当し絶賛を得る。1949年、東大寺観音院住職上司海雲師の知遇を受け、奈良の風物を描く。奈良では志賀直哉、入江泰吉らと交流する。受賞歴として1931年-国画会展入選、1942年-新文展特選、1946年-日展 特選といった数多くの賞が挙げられる。
非常に穏やかな表情を
していて癒されます。
蓮華、蓮台に乗る仏様
この伸びやかな線がとても良い雰囲気をだしていると思います。














【三田焼 赤絵 向付】
今回は当店の三田焼をご紹介
兵庫県三田市付近から産した陶器。寛政年間(1789〜1801)内田忠兵衛が創始とされています。



三田焼は青磁が全国的に有名ですが、
今回の向付は赤絵で形も亀甲形でとてもかわいいです。



色も深みがあり味わいがあります。

【太閤焼 割山椒 向付】
引き続き今回も当店商品の写真をご覧頂き
その由来をご紹介したいと思います。
太閤焼は西宮市甲山大師門前で楽茶碗作家として活躍していた小西平内が有馬や甲子園ホテル内で焼いていたものです。 (当時は有馬焼の名で焼いていた。戦後太閤焼と改名して今日に至る)






割山椒とはその名の通り、山椒の実がはじけた形をイメージした器で、祝儀ごとによく使われた小鉢です。
------参考文献 兵庫県大百科事典より

   【篠山焼 三島平向付】


今回は当店にある商品の写真をご覧して頂き、
兵庫県丹波の篠山焼とは何か?様々な文献やサイトを参考にしつつご紹介したいと思います。
          
  
        篠山焼とは、
大正2年頃、今村静斎(本名:静治)が
王地山稲荷神社(現在の丹波市河原町)
北側の 王地山焼旧窯のレンガを発掘して
自宅に小型の登り窯を築き

開窯したのがはじまり。

この今村清斎という方は明治22年生まれ。
父(源太郎)と篠山町西町で米穀商をしており、 
21歳の時に陶工を志し京都の陶器学校
などで3年間学び帰郷の後篠山焼を創める。
父(源太郎)も商売を打ち切り 家をあげて
静斎を助け初窯を出し 東京・大阪・神戸などで個展を開き
茶人や趣味人の間で好評を得て
皇室にも お買い上げとなり創業早々、
篠山焼の名は広く知られることとなったそうです。


(左写真:箱書 篠山焼 三島平向付 初代 清斎造) 
   

がしかし大正11年頃、 
静斎は不幸にも病で倒れ若くして亡くなってしまいます。(享年34歳)
亡き息子の後、源太郎は せっかく 静斎が
苦心して創り上げた篠山焼を
「このまま廃絶さすのは残念」と 考え、
自ら陶工になる決心をし
66歳で陶工となります。
  
源太郎は二代目静斎として篠山焼を続け、
昭和7年の暮れには 大宮御所に御嘉納となり
昭和10年東京高島屋美術部に 陳列されるまでになったのですが
同年6月4日に78歳で帰らぬ人と なってしまい
篠山焼は廃絶となったとされています。
現在でも
篠山焼は茶人や趣味人の間で 珍重され
特に初代の作品には優品が
多いようで人気があるとの事です。



参考文献:丹波人物誌 丹波のいしぶみetc


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